まさか終わりの日がくるなんて思ってもみませんでした。
私にとって家から一番近くて、一番馴染みの美術館。 かつてこちらで開催されたスペインの彫刻家チジーダ展のポスターは、うちのスタジオのお守りでもあります。
この一年間は、三回にわたって美術館の回顧ともいえる展覧会が開催されてきましたが、今日がその本当の楽日。
私もお別れをしに行ってまいりました。
展示を観るというよりは、ただただ、あの場所を忘れないようにと。
鑑賞に疲れた目を休めてぼんやりと、眺めた平家池。
夏の蓮は大変見事でした。
もうここから眺めることは叶わないのかと思うと寂しい限りです。
イサムノグチの「コケシ」
1951年作、この美術館と同じ年齢。
イサムノグチがこの作品を制作したのは新婚生活の頃でもありました。
館長の水沢勉さんは最後のギャラリートーク(2016.1.24)で以下のようにお話しされたそうです。
「彼は人生のなかで一回だけ結婚をした。山口淑子さん李香蘭という芸名の女優さんと結婚した。そのときの結婚の記念碑がこのイサム・ノグチの《こけし》ですね。
男は女性に肩の方に手をまわしていて、自分の心臓に右手をあてている。
永々の愛を誓っているという作品と解釈出来ますし、僕はもう少し解釈して女の人は妊娠していると思っています。実際、山口淑子さんインタビューに答えていて2回妊娠したけれども不幸なことに流産してしまった。」
この話を知り、最後にもう一度この場所にある「こけし」を見なくては、と思いました。
この美術館ができた1951年は、終戦からたった6年後のことです。
まだこの国は米軍占領下の不安定な状況でした。そんななかで立ち上げに関わった方達は、どれだけの希望と願いをこの新美術館にこめたことでしょう。
そんな先人達の努力によって豊かになったこの国。
膨大な予算をつぎこみ二度目のオリンピック開催に向かうこの国。
戦後のこの国を見つめて来た、今となっては小さな池の畔に佇むこの美術館を、存続させ維持する程度の予算を獲得することすら叶わないのか…
算出した補強工事費は2億1千万円だそうですが、それは戦闘機のミサイル2~3発程度の金額(戦闘機1機の値段は100億円越だそうです)
政治家や役人が決断すればどうとでもなりそうに思いますが…
今後も、神奈川県と土地を所有する鶴岡八幡宮で保存や活用の可能性について協議していくそうです。
私は、いつかまた美術館として復活してくれることを期待しています。