私の展示している旧五十嵐邸の所在する旧蒲原宿は、江戸時代は東海道五十三次の15番目の宿場町でした。
蒲原の一里塚跡は、江戸日本橋より38番目の塚です。1里を4キロとすると出発の日本橋より152キロということになります。
江戸時代の旅人は出発1日目は、私の住む横浜市戸塚区の「戸塚宿」に宿泊したそうですから1日約40キロを歩いたのですね。
その計算でいくと江戸を出発して箱根の関所を越え四日目の晩頃、蒲原宿で一杯やっていたのかもしれません。
元禄12年(315年前)には、大型台風による津波の被害によって海側から現在の山側に移ったそうです。町の中を歩いているとあちらこちらに海抜の表示があり海の近さを感じます。(311がなければそのような表示、気にも留めなかったかもしれません…)
蒲原町は明治時代から庵原郡の所属になりましたが2008年、静岡市清水区に吸収されました。
富士の山ビエンナーレの展示エリアは、旧庵原郡であった三町の蒲原町(現静岡市)、由比町(現静岡市)、富士川町(現富士市)と、鷹岡(富士市)、富士本町(富士市)、芝川(富士宮市)という三つの行政区をまたいで開催されている美術展です。
市町村合併は政治的大人の事情でしょうが、本来は東海道行き交う人々の流れで繋がってきた町々です。この美術展はそれらが今に続く感じ(まるで江戸時代の旅人のように旧東海道を歩きながら作品を探していく)がして私は大変面白いと思うのです。
江戸時代「和泉屋」という上旅籠。
天保年間の建物。
元「佐野屋」という商家。
壁は塗り壁で町屋に多く見られる造りで、このような町屋を「塗り家造り」
本陣跡
大名が泊まった宿、現在の建物は大正に建て直されたもの。
明治42年(1909)建築の磯部家
すべてが欅(ケヤキ)づくりという寺院のような贅沢なつくり。2階の窓ガラスは、波打つ面が美しい手作りのもの。日本における板ガラスの生産は明治40年からなので、国産か輸入かの見分けは難しいが、当時最先端の建材とのこと。
富士の山ビエンナーレも閉会まであと数日となりました。
酷暑の真夏に汗だくで現場調査に入って展示計画を練っていた頃から季節は冬に。あっという間でした。
クロージングイベントも盛りだくさんのようです。
するがのくに芸術祭 富士の山ビエンナーレは11月30日までです。
是非、最後の週末にお越し下さいませ。