美術家  小林正樹
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六合エリア赤岩「湯本家」小林正樹作品

© Kazuyuki Miyamoto
© Kazuyuki Miyamoto

「水の塔」    真鍮・木    2015

 こちら旧六合村赤岩 湯本家での展示は、前回2013年の隣集落「日影」での展示を指定を受けて移設再構成展示となった作品群です。
しかし場所や空間が変わったこともあり、いろいろ考えた末、前回の作品はだいぶ減らしメインの作品は新作を制作しました。
ただ、どうしても残したい作品がありました。
それは、この国が良からぬ方向に向かい始めたと感じているからです。

 

「ゼロ戦、富士山にムカフ」  2013年作

 

真鍮の四葉以外の酒器やお盆などは、前回展示の旧六合村日影の蔵に遺されていたものです。今回新たに足された絵葉書はこの湯本家のもの。

 

 

太平洋戦争では沢山の家庭から沢山の男たちが出兵していきました。
このような杯は、どこの家にもあったと聞きました。

「事変」に連なる「記念」や「祝」の文字
幸と不幸は背中合わせ。
我国の幸せが隣国の不幸の上に成り立ってはならないのです。

当時の磁器職人の筆さばきと絵柄の美しさが、更に空虚と悲しさを増幅させます。

 

 

この絵葉書は、湯本家の古箪笥から出てきたものです。
おそらく戦前の高崎の兵営を撮影したものではないかと思います。

 

 
群馬県高崎市はかつて軍都と呼ばれた時代がありました。
帝國陸軍歩兵本拠所在地(高崎兵営)だったのです。

 

ここの第十五連隊が昭和15年(1940)には関東軍に編入され満州へ移駐。

日清・日露戦争はじめシベリア出兵・上海事変・日中戦争のいずれにも高崎から出陣し、アジア太平洋戦争では満州から南方戦線パラオ諸島へ派遣されました。

 [高崎新聞 高崎アーカイブより

 

 

 

私の担当になった部屋には電気が来ていません。
さすがに照明が必要なので仮設の線を隣室より引き照明も使っていますがそれでも土壁蔵の家は日中も暗いです。
でもその暗さがあるからこそ窓からの光が美しくありがたい。
木戸を少しばかり開いて作品の明かりとり。

 

© Kazuyuki Miyamoto
© Kazuyuki Miyamoto
© Kazuyuki Miyamoto
© Kazuyuki Miyamoto

 

台座にしている箱の紋の三日月は、湯本家の紋。

次は
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