いつかは訪れたいと思っていた憧れの紀伊半島。
私にとって紀伊のイメージといえば、巨匠・南方熊楠や中上健次。
そして何と言っても神域の森、熊野。
スマホのグーグルナビに熊野をセットして宿泊先の京都木津川のレジデンスより出発したのでした。
これから吉野の森に入るために燃料補給GSからパチリ。
吉野川のほとりの街道を走ります。
169号東熊野街道、川上村へ
大滝ダムは「東の八ッ場、西の大滝」と言われ猛烈な反対運動によって竣工までになんと50年もの月日を要したダムだそうです。(大滝ダム・1962年着工、2012年竣工)
東も西もご先祖様から受け継いだ土地への気持ちは変わりません。
大滝ダムを過ぎると池原貯水池。この人造湖は近畿最大だそうです。
この先には池原ダムが。
ダムだらけですね。
紀伊の研究の論文を見つけました。ネットって便利ですよね!
いろいろな角度からの分析で大変面白いです。
「紀伊半島の自然と文化」 (改訂デジタル版pdf)
紀伊半島研究会・奈良女子大学共生科学研究センター/共編
奈良県から三重県熊野市に向かって走っているつもりなのに何故かちょいちょい和歌山県の標識が出てくるので「あれ???」と思っていたのです。
グーグルナビでは気付かず、帰宅後地図を調べてみてその謎が解けました。
わたくし日本にこのような区域があるのを初めて知りました。
北山村は周囲を奈良県と三重県に囲まれた”飛び地”だったのですね。
和歌山県に残る唯一の「村」でもあります。すぐ左隣の新宮市との結びつきが強く運命を共にした結果だそうです。
(図:右端黄色)
[ wikipedia 北山村 ]
林業が盛んなこの地では、ダムができるまでは筏師が新宮まで材木を運んでいたそうです。
今の紀伊半島は田植えのシーズン。美しい!
赤木城主郭跡より熊野の山々。
どうやってこんな場所まで石を運んだのでしょう…
こんな山里でも戦はあったのだろうか…と思い、調べてみたら築城の名手・藤堂高虎が築いた城で、一揆を鎮圧するための拠城となり地元民が無差別に処刑された怖いところだったようです…まさに無慈悲な戦国時代。
戦に必要な職種はやはり武具のプロ・鍛冶屋なのでしょうか?
とても稲作に向いているとは思えない過酷な山岳地形での稲作、棚田。
先人達の生きることへの執着の形が、今では美しい景色でもあります。